
この間、おくどさんで炊いたご飯を
食べさせてくれるお店に行った時
おひつに ついた ご飯粒を見て、
祖母のことを 思い出しました。
夏休みに遊びに行くと、
朝早くから、おくどさんで ご飯を炊いて、
炊きあがったご飯を おひつに 移して、
お湯を入れて、釜についたご飯を綺麗にとって、
自分は それを 朝ご飯に食べていました。
「なんで、おばあちゃんは、おひつのご飯を食べないの?」
と 私が聞いたら、祖母は、
「米粒の中には、小さな神様がいるから、ちゃんと、食べないといけないのよ。」
と 言って、一粒も残さず食べていました。
お米だけでなく、どんなモノに対しても、
祖母は、同じ気持ちを持っていたように思います。
戦前まで、日本では、物を大切にする教育が行き届いていたので、
常に物を大切に扱わないことは、批判的に見られてきたらしいです。
祖母のこの習慣も、お嫁に来た時、姑から、教わったことだそう。
昔の人は、どんなモノにも神が宿っていると思い(教えられ)、
捨てることに罪悪感を持っていて、やむを得ず捨てるモノには、
手を合わせてから捨てる高齢者の方もいらっしゃいますね。
こんな風にモノを大切に思って、捨てるのは、勿体ないとしていた時代から、
今では、昔、高価だったモノも、安価で買えるようになったりするからか、
飽きたり、壊れたら、買い換えて新しいモノにする
使い捨ての時代なんて言われるようになりましたよね。
我が家の場合、
祖母は、生涯、勿体ないと 一つのものを 大切にしていましたが、
その子である、父や母は、少し違っています。
勿体ない と 使い捨て が 合わさっているよーな・・・。
欲しいものが、買えなかった頃も知っているし、
欲しいものが、ある程度、買えることも知っている、
結果、飽きたり、壊れたモノを捨てて、買い換えるというより、
壊れたり飽きたりしたモノも 勿体ないから捨てずに
また、買い足すといった具合になってる感じ。
そこのところを 子である私が理解して、
モノの整理を一緒にしてあげないとなぁと思いました。
おくどさんのご飯から、違う方向に話がいっちゃいましたが、
もしかしたら、今、高齢者といわれる方々も、
私の父母のような気持ちを持っているかもしれませんよね。